

城所理事長コラム
〜第37回〜 「この両親がいて、わたしが今日あります (前編)」
わたしの両親のことをお話しておきましょう。これまで語ってきたようなことをわたしがなぜ考えるようにいたったのか、どうしてわたしが今日あるか、少しくご理解いただけるかもしれません。
二年前に八十六歳で亡くなった父。今も健在の母。とても自分に忠実に生きた二人で、子ども心に世間的な常識や規範から開放されて自由な親だと感心したほどです。
父は新潟県出身で、その昔は大地主だったにちがいない旧家の生まれでした。母は、埼玉県の生まれたとのことですが、幼くして東京に出てきて、ほとんど東京人といっていいでしょう。
そういう出自はさておき、わが両親ながら感心する点についてお話しましょう。
父は大正元年の生まれという世代ながら、子どもたちにも、そして世間さまに対しても、平気で「男だからこうしなきゃいけない、女だからこんなことをしてはいけない、ということはけっしてないんだ」と公言してはばかりませんでした。
わたしも、生まれてからこのかた「女の子だから、こうあるべきだ」という言葉は一度たりとも聞かされたおぼえはありません。言われたのは「すべからく適材適所。もっとも得意なことをやればいい、不得手なことはやらなくていい」ということです。
母に対しても「お前は小さい体なんだから、満身の力をうりしぼって重い布団を押し入れにいれなくていい。そんなことは、大きな体のお手伝いさんがチョイチョイと上の段に上げればいいんだ」と言う父で、お料理が不得手だった母には、いっさい食事の用意はさせず、実際そのためにお手伝いさんを雇いました。
父は母に「妻なんだから」「母親なんだから」と言う言葉も、けっして口にしませんでした。
その父は、素封家の生まれながら、若くして東京に出てきて苦労したようです。父親が放蕩のかぎりをつくして、実家が破産同然になったからだと聞いた記憶があります。そして、くわしくは語らなかったのですが、文字どおり丁稚奉公から、行商、その他・・いろいろ転々としたらしいのです。ただし事業の才はあったらしく、若いながらも、しっかり財産を残したということでした。
そして母と結婚。たしか戦時中の、大晦日に駐屯地から帰ってきて除夜の鐘を聞きながら慌ただしく、ささやかな結婚式を挙げ、松の内もまだ正月二日に軍隊の宿舎に戻ったとか。
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エスプラナードアカサカ
理事長 城所 ひとみ


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